忍ぶれど・・・
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⑩四都物語(2) ~ フィレンツェ、ローマ  <完>
→ ⑨四都物語(1)~ミラノ、ヴェネツィア

Ⅲ.花の都 フィレンツェ

花の女神フローラの名を冠されたこの美しい街が、絢爛たるルネッサンスの大輪の華をこの地に開かせたのは当然だったのかもしれません。ここは世界に名だたる名画を擁した美術館がありますが、街そのものが美術館だと言う人もいます。
しかし、ここほど歩いた街は他にはないかも。街中に観光バスは入れずアルノー河畔でまず下ろされる。そこから延々、どこに行くにも自分の足で石畳の道を歩くしかない。履き慣れて疲れない靴、塗ったり貼ったりの湿布薬は、必需品ですよ(笑)。

フィレンツェといえば工芸品でも有名。革製品を代表として(必ず皮革の免税店に連れて行かれます)、ほかにも流れる紋様が美しいマーブル紙製品も素敵。精密画風の可愛いカード類や、有名な絵画の絵葉書もいいし、お土産には困りません。リナ・シェンテにはセンスのいい、可愛いキッチングッズがいっぱい。イタリアらしい買物も楽しめる街です。

ルネッサンスは文芸復興という意味ですが、人が長く縛られてきた信仰から離れ、神の羊としてではない、人間存在とは何かを人間自身の目で見つめようとする、心の動きであったかと思います。
その兆しは文芸、科学、哲学に留まらず、経済、政治、そして生活や人生にまで及び、現代に繋がる現実的な思考の萌芽が、さまざまな方面に亘って芽吹いた結果なのでしょう。

フィレンツェの象徴サンタマリア・デル・フィオーレ「花の聖母寺」は、世界でも比類ない美しさと気品を備えた建造物だと思います。この前では白一色のミラノ大聖堂もただ大きいだけの気がして色あせるほど。美しいクーポラと鐘楼を持ち、白やピンク、緑といった色とりどりの大理石を、美しい配色と精緻な幾何学模様で組み上げた外観だけでも、どれだけ眺めても飽きることなく、ただただ溜息が出ます。意匠やデザインばかりでなく職人の腕と技巧の素晴らしさが、そこにはあります。まさにどれほどの豊かな才能と労力と、そして財力の結晶なのでしょうか。

かのメディチ家の支配した時代が、フィレンツェの、そしてルネッサンスの最も輝いたときでした。それも集約すれば豪華王(正しくはないらしいけどこの訳が好きです)ロレンツォ・イル・マニーフィコの生きた数十年。ミケランジェロ、ラファエロ、ダヴィンチといった天才が、彼の地にかかわったのは奇跡のようです。そしてウフィッツィはそれらをすべて堪能できる、これまた奇蹟のような美術館。
メディチ家直系の最後の女性は、このフィレンツェから芸術品を持ち出さないことを条件に、支配を譲ったと言います。それ以来流出も散逸もなく、市の財産、誇りとして大切に守られた至宝なのです。
余談ですが昨年上野で公開されたダ・ヴィンチの「受胎告知」も、持ち出しに当たるとして反対の議論があったとか。でもおそらくそのときの評価が今、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」来日に繋がったかもしれませんね。

一方で、輝かしい歴史は必ず暗い陰を伴います。フィレンツェもまた例外ではありません。むしろ陰そのものが、この街の歴史を明確に物語ります。
花の聖母寺では、メディチに敵対するパッツィ家がミサの最中にロレンツォらを襲撃し、弟のジュリアーノはこのとき25歳の若さで惨殺されています。この聖なる場所、神の御前で。
このパッツィ家の陰謀事件は、すんでのところで凶刃を逃れたロレンツォによる速やかかつ容赦ない報復により、かかわった者100人あまりが捕まりすぐに処刑されました。今は美術館の一角である市庁舎の窓から、首謀者たちの死体が裸で吊るされ、風に揺れていたのです。
またロレンツォの死後、贅沢や芸術を堕落とし節制を強い神への帰依を激しく説いた僧サヴォナローラが、最後には支持を失い焚刑になった広場は今、多くの観光客で賑わっています。

あまりにも強烈な栄光で、フィレンツェが中世の闇に光り輝いたのは一瞬でした。
けれどこの都を現代に至るまで永く、またこれからも照らし続けるのはまさに人間のみが生み出せる偉大な叡智、それこそが「芸術」という光に、他ならないのです。


Ⅳ.永遠の都 ローマ

いつもイタリアはこの街で最後の夜を過ごします。
今回、初めての冬の旅でしたが、真夏のような青空と陽春の穏やかな暖かさで、ローマはわたしたちを迎えてくれました。

イタリアではどこもある種の奇跡があふれていて、ともすれば慣れてしまいがちですが、それでもこの街は特別の、大きな奇跡で満ちています。
紀元前ローマ帝国の栄光と興亡。
キリスト教世界の中心であり聖地。
イタリアの現代的機能を担う首都。
それらが渾然となりまた不思議な均衡を保ちながら成立している街なのです。

ローマ遺跡では、コロッセオよりもわたしはフォロ・ロマーノが好きです。無料ですし(笑)。
萌え始めた緑の中、「聖なる道」に沿ってそびえ立つ大理石の門や神殿、バシリカ、議事堂。そしてカエサル暗殺が行われた元老院。人の歴史と文明の世界的な源流を、今も見ることができるのです。
かつて偉大なる将軍や皇帝を称えて市民が熱狂の声を響かせただろう巨大なバシリカも、今では誰もいない虚ろな廃墟です。けれどその崩れた壁の向こう、雲ひとつなく広がった真っ青なローマの空は、きっとその頃と変わることがないのでしょう。

無宗教の現代日本人にはおそらく感覚的に理解しがたい場所も、ここにはあります。
カトリックの総本山であり世界最大の教会であるサンピエトロ寺院と、法王の住むバチカン市国。神の威光を地上に顕し、また人々の信仰の力を明確に誇示する場所。
わたしはただ圧倒されるのみでした。
ここには、とてつもない「力」がある。
遺跡群と違い、ここに存在する強大な「力」は、現代も確実に「生きて」、動いている。
今も世界中の多くの人々を、動かしている。その事実を思うとき一瞬、驚愕を超えて戦慄さえ覚えるのです。

闇に沈む古代の朽ち果てた夢と、峻厳に光り輝く神の国を抱きながら。
それでも、ローマの夜はあらゆる官能に満ちています。
夕暮れに街灯の灯り始めるスペイン広場。
階段に腰を下ろし、あるいは抱擁し、キスを交わす恋人たち。
ライトアップされて濃い陰翳を刻む、噴水のニンフや古代神。
夜更けて街に繰り出す人々の浮かれた群れ。
映画「ローマの休日」も「甘い生活」も、確かにここでしか生まれなかったかもしれません。

最後の朝は、いつも別れを惜しむ間もない早朝の出発。
限界の近い疲れと眠気をこらえ、帰国はその名もレオナルド・ダ・ヴィンチ空港からです。
「アリベデルチ・ローマ(さようなら、ローマよ)」という古い、いかにも感傷的な歌を、思い出しながら。



さて「役に立たないイタリア旅行記」、これにてひとまず完、ということで。
ここまでおつきあいくださった方には感謝を。
やっと終わった、という方にはお詫びを(笑)。
また何か思い出したら随時補完したいと思います(懲りてない)。

過去二回と同じく、今回もトレヴィの泉にコインを投げてしまいました。
またいつか再び訪れるとの願いをこめて。
「今度はどこに行きたい?」と訊かれたら、
フィレンツェあたりに一年くらい滞在してイタリア中を回りたい。
なんて、やっぱり答えてしまうかもしれません。

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⑨四都物語(1) ~ ミラノ、ヴェネツィア
イタリアには大きな四つの「都」があります。
それぞれもう説明も不要なところばかりですが、わたしなりの印象を紹介します。
まずはミラノとヴェネツィアから。


Ⅰ.ファッションの都・ミラノ

過去三回、どれもここが出発点。初海外、初イタリア、初ヨーロッパだったりしたため、とてもインパクトが大きい都市です。ただ他を知ってしまうとそれも薄くなるのは仕方がないかも。それほどイタリアは多彩で奥の深いところです。

ミラノのドゥオーモにはまず初めてなら度肝を抜かれます。あの大きさ、意匠や建築の細やかさ、壮大さ。なんと言ったらいいのか、あの白い大聖堂の迫力は、確かに一見の価値がある。
完成にほぼ500年。莫大な費用と労力と時間と犠牲をかけた、キリスト教という信仰の力を、まず思い知らされるような気がします。日本人にはわかりにくい、しかしこの国ではどこでも感じる脅威にも似た力には、南下していった先のヴァチカンでとどめを刺されるんですが(笑)。

ここの広場から有名なアーケード・ガレリア(見事に金と黒で統一されています。ここの金黒マック必見)を抜けると、市庁舎前、スカラ座の向かいに出る。そこでダヴィンチ像と彼を取り巻く愛弟子だか愛人だか(彼は同性愛者でした)を見上げましょう。

有名な「最後の晩餐」はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にありますが今は三ヶ月前くらいからの予約が必要なんですね。昔は並べばその日に入れました。今は何もない、がらんとした食堂の壁に描かれたそれは、思ったより大きく、また素朴で静謐でした。「ダヴィンチ・コード」にあったような、暗示やら暗号やらの恣意的なものはあまり感じなかった気がします。
教会も静かで美しく、信仰に生きた人々をひっそりと見守ってきた時間が、今も変わらず流れています。

ミラノはイタリアでは首都ローマよりも都会的です。ファッション始め経済の事実上の中心地でもあるので、街はお洒落で現代的な活気にあふれています。都会はどこも同じようでいわゆるイタリアらしさには欠けますが、最先端のセンスを感じる街ですから刺激的です。
モンテナポレオーネ通りのグッチなど名だたるブランド店や、ほかにもセンスのいい店があちこちに。イタリアで買物が目的ならここでの時間は貴重。わたしとは逆に、ローマから北上して最後にする旅程がいいかもしれません。


Ⅱ.水の都・ヴェネツィア

ここは、世界に類を見ない場所です。かつて異民族の侵入から逃れるために、干潟に無数の杭を打って土地を造り上げた、水に浮かぶ街。もしその天地を引っくり返せば、広大な森が現われるといわれるほどの規模です。そこはいまだかつて、どんな馬のひづめの音も、車輪の音も響いたことがないのです。現代でも自動車・自転車は入ることができません。水上ボートで本島へ渡ります。

温暖化による水位上昇と、地盤沈下(これは地下水汲上をやめたので止まったそう)のために、いずれ海に沈んでしまうといわれています。有名なサンマルコ広場もたびたび高潮で水浸しになるため、通路用の高台が広場の隅に積まれて用意されているほど。

イタリアの中でもここは特に地元意識?が強く、外交的な反面、とても排他的。やはりその歴史に起因するのでしょう。現地ガイドさんやガラス工房の人たちの上手すぎる日本語に、その気質を垣間見る気がします。

今回は三大カーニバルと言われるカルネヴァーレを見ることができました。

開始二日目の午前中、イベントはこれから(特に夜)だったのが残念でしたが、街中が仮装やお祭り騒ぎの人々で賑わっていました。あの陽気に浮かれた感じは、世界中どこの人も変わらない。中にはコスプレ?猫耳?な方もいましたが(笑)これが今風なんでしょうね。お天気も良く、まさに抜けるような青空。ヴェネツィアの象徴である黄金の翼を持つ獅子像が、眩しい陽に照り映えて賑わう広場を見下ろすさまは、そのまま中世の繁栄を見るようです。

でもやはりヴェネツィアは夜がいい。

暗い街灯が濡れた石畳や澱んだ水路に弱い光を投げる。昼間はあれほど晴れやかだったアドリア海の陽光はどこかに消え去り、ひそやかな闇に取って代わられるのです。石造りの高く古い家、合間を縫う入組んだ細い路地、縦横に走る水路には小さな橋がかかる。町はまるで幻想物語の中の迷路のよう。ホテルの部屋にいても、どこからか朗々と響くカンツォーネの歌声が聞こえてきます。

豪華に着飾った美しい、あるいは奇妙な仮装の人びとがふと佇んでいても不思議のない、そんな町です。
ここに来れば、「旅情」のように恋に落ちてしまうかもしれない。
「ヴェニスに死す」のような、美しい少年に出逢うかもしれない。

「夢のような場所」が現実にあるとしたら、それはここヴェネツィアを置いて他にはないと思います。

千年以上の歴史をもち、かつての繁栄はアドリア海の女王と謳われた、輝かしい場所。けれどとうにその栄光は失われ、アンデルセンも「絵のない絵本」で「町の幽霊」と呼んだところです。
中世の美しい夢もやがては海に消えていく彼女の運命が、今も多くの人々を惹きつけて止まないのかもしれません。

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⑧赤頭巾ちゃん、気をつけて!
今回は役に立つかもしれません。いい話ではないんですけどね。
イタリア旅行の危なさは、行ったことのある人は多少なり実感しているでしょう。
カトリックなので乱暴な強盗などはあまり聞きませんが、スリや置き引き、ひったくりは、実際の話に事欠きません。

今回の旅行では、わたしたちも2回、遭遇しました。
昼間の、フィレンツェとローマでのこと。

自由行動の午後、フィレンツェのパラティーナ美術館に行ったときです。
アルノー川のこちら側はピッティ宮しかなく、メインの場所に比べて人通りなど比較的空いているのです。確かに日本人も少なかった。美術館と庭園のある宮殿は大きくて広々としており、チケット売り場と入り口が少し離れていてわかりにくい。始め入り口で勘違いして財布を出したりとまごついていたので、そこで目をつけられたのかもしれません。

いち早く、二人組の男に尾けられていると叔母が言い出しました。
見れば背の高い、若い男性二人。不謹慎ですが今思い返すとなかなかハンサムです。東欧系だったでしょうか。

考えすぎじゃないかと思いましたが、それでもしばらく売り場前に座るなどしてやり過ごしました。
すると彼らはチケットも買わずそのあたりをうろうろ。購入の列に並んでもすぐに離れる。やっぱり行動が不審です。しばらくして諦めたのか立ち去っていくまで、気が気じゃありませんでした。

おかげでせっかくのパラティーナ、フィレンツェも魅力半減です。
帰り道、可愛いカードや絵葉書のお店を見つけて寄ろうとしただけで母が血相変える始末。早く立ち去りたいのもわかりますが、スリ(未遂)にメゲるのも悔しいので半分意地でちゃんと買ってまいりました(笑)。


二度目はローマ。やっぱり自由行動の日です。少人数を狙うのは当たりまえですね。
遺跡フォロ・ロマーノは入場無料のためか特にスリが多いとは聞いていたので、そこにいる間はずっと注意していました。怪しい人は確かにいましたけど、経験済みなので平気(笑)。

そこからの帰り。大きな道路沿い、たぶん遠足か何かの中学生の列に交じるようにして歩いていたときです。数歩前をひとりで歩いていた叔母に、わたしの背後から母が大きな声で名前を呼び、叔母が振り返りました。

またしてもわたしは気づかなかったのですが(それもどうか)、ちょうど子どもたちの列が途切れて叔母がひとりになり、そこに三人の男が囲むようにしていたというのです。始めは追い抜くのかと思ったところ、背後に男が来るのを見て母が咄嗟に声をかけたとか。


いずれも被害はないし、本当は思い過ごしだったのかもしれません。
けれどそれを証明することも、またできないのです。
旅行を楽しいものにするには、そうしたことを未然に防ぐことが何より大切です。

カバンは斜め掛け、パスポートは首から提げて服の下、財布はカバンの底にひも付きで。
これはイタリア旅行だと基本ですか。用心深すぎるようでも心配ですから。
百戦錬磨の添乗員さんでさえ、お金より大切なパスポートだけは、腰に巻いているそうです。
ただ今回のことで、こうした防犯策だけでは十分じゃないことに気づきました。

おそらく男性の同伴のない「日本人の女性」が、狙われているのです。
背が小さく力が弱い(女性だから)、自己主張もあまりしない(中国・韓国の人とは顔は似てても態度も話し方も違う)、防犯の意識が低い。それでいて、お金を持っている。
わたしたちってどんなにいいカモなんでしょうか!(笑) ←いや笑い事じゃないし

さらに条件を加えるなら「中高年の」「金持ちそうな」かもしれません。
よく考えると目をつけられたのはいつも叔母でした。
年寄りの母でも、腰ぎんちゃくな娘を連れたわたしでもなく。
ローマでは普通のバッグに見える手提げ袋(ペットの水しか入れてません)をぶらつかせていたり、フィレンツェでも財布を出したりと、そこが狙われたともいえますが、不幸なことにスリをひきつける条件は揃っていたんです。見た目から言っても、彼女は姪のわたしが日ごろエセセレブ呼ばわりするような品のいい高級品を持っていて、化粧もバッチリ。すでに化粧っ気ゼロの母(ヨー●ドー御用達)や、子連れだしー外国だしーめんどk(以下略)だったわたし(ニ●セン御用達)は、きっと狙う価値もなかったかもしれませんな。

地下鉄を使う人は、別の大きな袋に入れるなどしてブランド名の入った紙袋を隠すよう、注意されていました。日本では、たとえ深夜の東京でさえ、考えもしないことです。
要はお金を持っている、隙があって盗りやすい、そう見える人は即、狙われる。
イタリアはそういうところなんです。見逃してはくれない。
この国に限らずむしろこれが世界では常識なのかもしれません。そういう意味で日本は他に類を見ないほど安全な国だということを、身をもって実感しました。
ブランドのお財布を堂々と見せびらかしながらお昼を食べに行くOLさんって、なんて無防備!(笑)
そういえば、欧米人は外であまり財布を出さない気がします。小銭をポケットからぞんざいに取り出し、かきあつめて払います。一見こちらのほうが危ない気もしますが、確かに財布ごと取られるよりマシ。

本当にどこも油断ができません。午前中花の聖母寺の前で、集団でガイドさんの説明を聞いていても、背後にジプシーがうろついています。隣の女子大生が肩掛けバッグの口を閉め忘れていたら、目敏く見つけて近寄ってくる。別のガイドさんが追い払ってくれてホッとしました。別のジプシーのお婆さんは大声でわめきながら手にした缶にコインを鳴らし、物乞いに寄ってきます。でもお金を出してはいけない。その隙も狙われるからです。子どももいます。新聞を買ってくれと言うように顔の前に差し出し、その陰からポケットを探ろうと手を伸ばしてくる。
彼らが近づいたら、動物のように、大声を出して追い払えと教わります。また彼らもそうされても平気で、またすぐに別の人に近寄っていく。警官はどこにもいますが、見ていても何もしません。
ここではそれが「常識」で「当たりまえ」なのです。

過去に訪れたとき、20年前には、ジプシーに注意しろと言われました。
ローマで200mほど向こうにジプシーの一団を見つけたガイドさんはいきなり「走って!あそこにジプシーがいます!」。人種差別だの偏見だの言う以前に、ほとんど恐怖の対象でした。テルミニ駅も危険だから近づかないようにと、はっきり言われました。まあ今回もミラノのガイドさんは駅の周りには悪い人しかいないと言ってましたから、のほほんとした日本人が用もなく行くところではないんでしょうね。
10年前、新婚旅行で来たときは、ジプシーと東欧系に気をつけろという注意でした。
アドリア海を挟んだクロアチアから、多くの難民が流入していました。そのころ東欧の国々が自由や独立を求めて始めた戦争や内乱、革命。結果多くの血を流し犠牲を生んで、クロアチアでは前年に終わったばかりでした。疲弊し荒廃した国からやってきた人々が、生きる術としてしたことなのです。
今回はEU発足後初めてのイタリアでしたが、ルーマニアが昨年EUに加わったことでまた混乱しているという話も聞きました。
もしかしたらフィレンツェの二人も、そうした国の人なのかもしれません。
着ていた服は冬なのに薄着で、あちこちが擦り切れて汚れ、手にしていた本もボロボロでした。
美術館の入場料はひとり12€(約2000円)。その料金表の前で途方に暮れているようにも、わたしには見えました。


世界の変化を肌で知ることのできる機会でもありますが、わたしたちはただの旅行者でもあります。
安全で安心に旅を楽しむためには、危険への意識も必要です。日本人というだけで狙われるという自覚は少なくとも欠かせません。
アジアと違って現地イタリア人になりすますのは無理ですが、できるだけ目立たず、さらに貧乏っぽく、という工夫は、有効かもしれません。写真には残っちゃいますけどね(笑)。

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⑦標識とスノウドーム
子どもとの旅行は、大人だけで行くよりも、新しい発見が多いもの。
イタリアはもちろん見所がいっぱいですが、少し変わった視点、またはひとつの点に着目していくと、また面白さが違います。今回、娘がこだわったおかげで新鮮だったふたつを紹介します。

ちょうど学校で標識などの絵文字の勉強をしていた娘。先生からも頼まれたとのことで、あちこちで標識の写真を撮影してきました。空港、道路、美術館やホテルで、それはたくさん見つかります。普通なら必要以上には気にも留めないものですが、そこに注意してみると実に多く、いろんな種類がある。イタリアでは特にデザイン的こだわりも感じました。
トイレや非常口のマークは国際規格なのかほとんど同じ。ただイタリアの非常口は、日本よりドイツより、「非常事態」でした(笑)。走る人がより前傾姿勢で手足の振りも大きく、まさに「脱出」!比べると日本のはただの出口ですね。もっとリアリティを追求してくれなくちゃ(笑)。

禁止事項も「丸に斜めの打ち消し線」は同じです。遺跡や名所が多いので、禁止一覧の看板があちこちにあります。「噴水に人やペットが入ること」「ゴミを捨てる」「遺跡に座りこんで飲食」、「下着姿の男女」もすべて「ダメ」。
絵はシンプルながら的確でわかりやすく、子どもでも一目瞭然。日本のように文章での細かい注意書きはあまりなく、不親切と思わないこともないけれど、その分邪魔にもうるさくもならない。国も年齢も考え方もさまざまな人々が、多く観光に訪れるためでしょうか。
アテンションはシンプルでインパクトがあるほうがいい。あれもこれもと細かくたくさん契約書のように注意しなくちゃならない日本の社会が、かえって窮屈に感じます。

標識というものを通じて、娘もイタリアという外国の生活、社会を、リアルに感じたようでした。人も建物も言葉も日本と違うけれど、まったく違うわけじゃない。日本からこれほど遠くても、世界には変わらないもの、共通のことがある。
彼女にとってまだ広すぎる「世界」とはどういうものなのか、おぼろげであっても、感覚として理解できたかもしれません。

特筆すべき標識をひとつ。ミラノの街角で多く見かけたものです。
重なるふたつの仮面。白いマスクは笑い、黒いマスクは悲しげに泣いている。
標識というよりちょっとしたイラストのようですが、これは「劇場」を示すマーク。
こういうセンスはさすがイタリアだなと感心しました。
もちろんスカラ座の前にもちゃんとありましたよ。


娘が向こうで突然欲しいといって集めたものがあります。それがスノウドーム。
半球形のガラスドームにミニチュアが入って水が満たされており、振ると雪のようなものが舞う、あれ。
小さいもので3€ほど、どこの露店でもたくさん並ぶ安っぽいキッチュなお土産物です。
造形も彩色もテキトーすぎる、かろうじてソレとわかるような名所・旧跡に、季節も何も関係なく雪が降る。これがなかなかどうして、味わい深い。

フィレンツェでは、聖母寺とダヴィデ像とピサの斜塔を詰め込んだ無理やりなものも。東京タワーと富士山と芸者ガールが同じ大きさで並ぶペン立てみたいなものか(笑)。みうらじゅんに教えてあげたい、みやげ物ならぬ「イヤげもの」(余談ですがほかにはダヴィデ像のちょうどコカンだけを大きくプリントしたトランクスとか、しかも中心にピサの斜塔があるとか(笑)。悪趣味なのもいっぱいありましたけどね)。

今までこんなもの欲しがったこともないのに何で、と思いつつ、本人が嬉しそうなので自由にさせました。ホテルで夜取り出して並べてはうっとり眺めてるんです。モノは本当に安物(たぶん中国製)で、大した出来じゃないのに。

でも今こうして改めて眺めてみると、これが意外なほど思い出のよすがになる。
何気なく手に取り、上下に揺らしてしまうたびに、よみがえる。
目にしてきた本物の威容、購った街角の風景。その場所の人、空気までも。
まるでそれらをすべて小さくして、そこに詰めて持ち帰ったような気分。

集める人もいるとは知っていても正直、今までスノウドームの魅力がわかりませんでした。雪が降るからクリスマスの飾りだと思っていたくらい。でもきっと帰った後にこんな気持ちを味わえるから、人気があるんでしょうね。

もっと買ってお土産にもすればよかったなと思う一方、持ち帰るのが実は一苦労。
「液体物」は機内持ち込みが制限されてしまい、スーツケースに入れるしかないのです。中で割れたらヒサンなので気を遣いました。厚手の靴下にひとつずつ入れたのは、我ながらナイスアイデア!だったと思う。使用済み靴下しかなかった点は差し引いても(笑)。


窓辺に4つ並んだスノウドームの中。
ヴェローナはアレーナ、ヴェネツィアのサンマルコ寺院、フィレンツェでは花の聖母寺、ローマのサンピエトロ寺院に。今日も静かにスノウフレークが降り積もるのです。


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⑥イタリア小都市紀行
いわゆる4大都市以外でも、イタリアは点在する小さな町にそれぞれ違った味わいがあります。どこも印象深く、フリーの旅でのんびりと滞在してみたいところばかり。今まで行った場所を思いつくままに。

【ヴェローナ】
「ロミジュリ」(笑)のジュリエットの家と、「ああロミオ、あなたはなぜに(略)」の台詞が有名な(って創作なのに?)バルコニーが見られます。何でも昔本当にあったふたつの家の勢力争いをシェイクスピアがモデルにしたとか。それよりも最近は、入り口の壁一面に書かれた愛の落書きと、なぜか貼り付けられた色とりどりのチューインガムが、なかなかに芸術的で一見の価値アリ(笑)。
音楽ファンにはここのアレーナ(ローマ時代の闘技場跡、コロッセオの小さい版。今は円形劇場となっている)で毎夏行われる野外オペラが有名です。夏の夜、遺跡に響き渡る「アイーダ」の歌声。一度は聴いてみたいものです。
ローマ時代から続く町は小さい中にそれぞれの時代を色濃く残す、不思議な空間。広場を取り巻く建物と外壁には移る歴史の様式をそのまま残しています。
夕暮れのころ訪れたヴェローナ。灯り始めた灯りが暗い路地を照らし、美しい巻毛の少年が古い噴水の傍に遊ぶ。もっとゆっくり時間が欲しい町でした。

【モンテカティーニ・テルメ】
今回初めて、宿泊だけで訪れました。テルメの名の通り、ここは有名な温泉保養地。高級別荘が並び、ホテルも人も店も、どこか品がある。フィレンツェ観光に泊まったのでほとんど回れず残念でしたが、町もこじんまりして可愛らしい、軽井沢のような感じです。夜遅くまで店もけっこう開いていて、治安も悪くなさそう。駅近くに小さいスーパーもあります。
フィレンツェからは車で50分くらい、電車も通ってますから、ここで飲泉やエステなど楽しむのも変わった旅になっていいかもしれません。

【アッシジ】
フィレンツェからローマに向かう途中、小高い山の上にあります。聖フランチェスコの墓と教会があり、日本人には馴染み深いフランシスコ・ザビエルもここに眠っています。従順・清貧・貞潔をかかげて修道生活を送るフランチェスコ会の聖地であり、観光よりもいっそう神妙な信仰の力を感じる場所。聖人の生涯は映画「ブラザーサン・シスタームーン」にもなりました。
山の中腹を僅かに覆う小さな町は、急勾配の細い道が迷路のよう。大都市の派手な権力誇示としての教会とは違う、地味で寡黙な信仰の町。
トスカーナの豊かな田園地帯を見下ろす聖地は、常にここから静かな祈りを捧げています。

【ピサ】
言わずと知れたピサの斜塔。ここは10年前の新婚旅行でフィレンツェから半日かけて行った(フリーの日が休日に当たりフィレンツェの美術館が軒並み閉館していて泣く泣くの選択)ところですが、ピサ自体実はあまり印象がない。大理石の産地だとかでそういうおみやげが多かった、とか。みんなが「斜塔を支える構図」で写真を撮る、とか(笑)。
斜塔は確かに行かないと見られませんが、わたしとしてはそれよりもっとフィレンツェを堪能したかった(今回もフリー半日しかなくて哀しかった・・・なんかイマイチ、フィレンツェとの縁が薄いような・・・こんなに愛してるのに)。

【ナポリ】
先だって、マフィアがからむゴミ処理問題で一躍話題に。そんな町。
「ナポリを見てから死ね」と言われる割には・・・・なところだったかな、と。ナポリ湾を見渡せる高台からの景色は確かに綺麗でしたが。ポンペイへ行く途中通るのですが、何しろバスからは降ろしてもらえなかった。車中から、右手ごらんくださいここが風光明媚なサンタルチア海岸、上をごらんくださいナポリ名物青空にひるがえる洗濯物、てな具合でした。もちろん危険だからです。治安の悪さはあまり変わっていないかもしれません。ちなみにジローさんはデヴィ夫人によれば「典型的なナポリ野郎」だそうですね。なるほどちょいワル。


以下3ヶ所はその昔、新婚旅行で行った場所。14日間と長かったし小さな町も始めから旅程に入っていて、今思うと充実でした。なんたって社会人で大手を振ってこれだけ休めるのは、新婚旅行だけですからな!気合入りますわな!(笑)

【シエナ】
世界一美しい広場といわれるカンポ広場を中心に、丘陵に造られた都市。町中で行う競馬が有名ですね。フィレンツェと張り合ったという大聖堂や、広場から放射状に延びる路地は、いまだ中世の面影を湛えています。
立ち寄る程度だったにもかかわらず、ここはとても印象に残る町でした。今でもそう思います。古い石畳の坂道、居並ぶ店の佇まい。今のイタリアらしい活気はあるのに、どこかでふいに時間の流れが止まったような。中世の空気を、ほかよりも強く明確に感じた場所かもしれません。

【ラヴェンナ】
東ローマ帝国とかビザンチンとか、高校の世界史寝てたのでよくわからないのが今ごろ口惜しい。くそおヤバタめ(関係ない)。
ここはそのころの建築物がよく残っているそうです。覚えているのはモザイク壁画の美しさ。きらびやかな黄金のモザイクもありました。ほかにダンテの墓も行きましたが、イタリア最大の詩人もあまり馴染みがなく残念。
ホテルは海辺にあり、夏は避暑地として人気があるとか。行ったのはまだ春で閑散。
春のアドリア海は鈍色に気だるくたゆたい、わたしは乾いた砂浜で小さな貝殻を拾って帰りました。そういえば、どこへしまったかしら。

【サンマリノ】
サンマリノといえばF1。サンマリノGP、イモラ・サーキットは94年、予選から事故を続発したあげく、あのセナが落命した場所。
サンマリノはイタリアではありません。サンマリノ共和国という歴とした独立国家(ちなみにイモラ・サーキット自体はイタリアにある)。入出国にパスポートは不要ですが(確か)。切手を買ってハガキを出した覚えがあります。バチカン美術館でも同じ行為を勧められます(笑)。
中心は高台にあって、そのせいかちょっとアッシジに似ています。もっと世俗的で、まったく観光地化していますが。道は狭く急勾配で、観光客も多いので疲れます。ミニ国家ということで変わった場所だけど、一度行ってハガキ出したから、もういいかな(笑)。


英語力も行動力もないわたしはいつも添乗員つきツアーになってしまうのですが、帰るたびに「今度こそフリーで行きたいなあ」との思いを強くするのです。次はなんとかなるかも、という勘違い(笑)、そして時間がなく通り過ぎるしかなかった町の魅力。そういうものにも惹かれて、とうとう三度も行ってしまったのでしょう。
ガイドブックを開くと、行ったことのない、けれど行ってみたくなる町がたくさんあって、溜息が出ます。もうこれは住むしかないか。ちょっと本気で考えたくなるのです。

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⑤美術館と名画の話
イタリアはとても網羅しきれないほどの世界的名画がいっぱい。
画家名を思いつくだけでもボッティチェルリ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、もちろんラファエロやミケランジェロ、ダヴィンチといった綺羅星のような天才たちの作品が、これでもかというくらいに見られます。

美術館は予約が必要なところが多いですが、今はHPで日本語予約のできるところもあるみたいですね。わたしたちはツアーやオプショナルで入ってしまいましたが、やはりオフシーズンで個人でもそれほど並ばなくてもよさそうでした。ちなみにダヴィンチの「最後の晩餐」は教会ですが予約が必要で、しかもツアーでさえ確約できないもよう。今は見るのが難しくなっちゃいました。

向こうでは驚くことに、どんな名作も触れそうな距離にあります。ウフィッツィやヴァチカンなどは入館の際に空港並みの厳しい荷物チェックがある(液体は持ち込めません)ものの、中ではほとんど何のガードもないんですよ。注意程度の手すりと、「春」「ヴィーナスの誕生」にガラス一枚カバーしてあるのがせいぜい(ただ以前、欠損被害にあった「ピエタ」だけは遠くガラスの向こうに行ってしまいましたが)。

日本のように仰々しくガラスケースに閉じ込めて、遠くから見せるのとは違う。驚いたことに多くの美術館は模写も撮影もできる(保護のためにフラッシュは禁止)。ヨーロッパはみなそうらしいですが、芸術との距離がとても近いのです。

このように数多くの名画に触れるなかで、行くたびに印象に残る作品が違います。
だから何度行っても飽きないんでしょうね。もちろん回りきれてもいないし。

ウフィッツィでは今回、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」とカラヴァッジョの「バッカス」。非キリスト教的主題であり神話を題材にしていながら実写的で世俗的。特に後者は妙な面白みというか俗っぽいエロスがあって、強烈でした。ちなみに彼の作品は当時、同性愛者に人気があったとか。実際、なんとなくわかる気がします。要するにオカマっぽいの(笑)。

母がラファエロを好きなこともあり、パラティーナ美術館へも足を運びました。ウフィッツィとアルノ川を挟んだ対岸にあり、ピッティ宮という宮殿をそのまま用いているので調度品も見ることができます。ラファエロの有名すぎる「椅子の聖母」があり、人が少なくてひとり占めという贅沢がここでも。宮殿という場所柄、部屋の壁すべて絵で埋まっていて、もうどれがどれだけ有名かもわからない。その圧倒的な空間も一見の価値ありです。
ここではティツイアーノの「マグダラのマリア」が素晴らしかった。真珠色の肌と、裸身にまといつく豊かな黄金に輝く巻き毛。女性の美しさに溜息が出ます。

ヴァチカン美術館は、朝から午前中いっぱい駆け足でも半分も見ることができませんでした。絵画館とラファエロの間とシスティーナ行って終わり。かの有名な彫刻「ラオコーン」はまた見れずじまい。
日本語ガイド付きオプショナルツアー(1万円ほど)で行ったんですが、ツアー優先の入場で並ばずに入れても中はほんとうに駆け足。すっ飛ばされた現代絵画の中に、ダリやら棟方志功やらがあるんですから、凄すぎる。
ミケランジェロの執念と生命がそのまま焼きつけられたようなシスティーナの迫力は、まさに筆舌に尽くし難い。あれこそ、そこに行かなくては、あの空間でこそ見なくてはならない、「本物」。今後どんなに映像技術が発達しても、再現はできないでしょう。

ダヴィンチの「受胎告知」に興味を持った娘。多くの画家が描いていますがどれも構図がほぼ同じことが面白かったようです。純潔を象徴する百合の花と、懐妊を告げる天使の指先、驚くマリアのポーズ。しばらくはわたしと娘のマイブームでした。「デキましたよ!」「まあ!」

余談。
前回来たとき、後ろ手に縛られ何本も体に矢を受けながら虚ろに天を見上げる半裸の(美)青年という主題の絵が多くて印象に残っていたのを思い出しました。今回ももちろんたくさん見ましたとも!どれもその表情は悩ましく美しく、肌とかポーズとか筋肉のつき方とか、宗教画にあるまじき妖しい官能が漂ってましたとも!(笑)
キリスト教関連には違いないけれど聖書関係を読んでもわからなかったので、帰国してから調べてみました。すると彼は聖セバスティアヌスという人物であることが判明。
ウィキによればなかなか興味深い主題のようです。オスカー・ワイルド、三島の「仮面の告白」など、ゲイのイコンであるとか。前述のカラバッジョといい、わたしの嗅覚ってある意味すごいわ(笑)。

旅行前にF子ちゃんと、聖書を読んでいくといいよね、と話していたのを思い出し、直前に子供向けの「聖書物語」を購入。表紙はラファエロの「椅子の聖母」。
旧約、新約をダイジェストで読んでみたものの、正直ピンとこない。しょせん信仰のないものにはこの程度かと思ってました。
けれど、実際に現地で多くの宗教画や建造物を見たとき、それが面白いように頭に入る。
映像や本で見ただけではわからない、存在感。
本物を見る、感じるということは、それだけの力と価値があるということなのかもしれません。

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④食べたり飲んだり
実は今回、あんまり食事を堪能してこなかったんですよね。時間的な制約などもあってレストランに行けなかったり、ユーロを節約したり(笑)で、ホテルの部屋で夜遅く、持参のカップめん食べたこともありました・・・イタリアなのに・・・(哀)。

それでもいちおう押さえたところを。

ミラノ風カツレツは薄く延ばした牛肉に、細かいパン粉とチーズを混ぜてまぶし、揚げたもの。
ビステッカ・ア・ラ・フィオレンティーナ、フィレンツェ風Tボーンステーキは一瞬引くほどの大きさと厚さ。
どれもシンプルな塩と胡椒とオリーブオイルの味。レモンを絞るだけで美味しい。
ローマではブガティーニという穴の開いたスパゲッティを食べました。ソースが浸みるので食べやすい。
テイクアウトならハムや鶏肉を挟んだパニーニ。安くてボリュームがあって美味しいです。
ヴェネツィアでは過去2回と同じく、魚介のフリットが(笑)。イタリアは揚げ物が多い気がします。でもオリーブオイルのせいかさっぱりして美味しい。
ピザは切ってありません。フォークとナイフで食べるもので生地は薄くやわらかい。娘が食べにくそうにしていたら見慣れた道具で切ってくれましたが、大人はそうしないもののよう。
パスタ食べ放題を夢みていた娘は少々不満だったようで、帰国してすぐにイタリアンへ連れて行かされました。彼女いわく「日本のパスタは美味しい」そうです。んまあ生意気。

イタリアへ行く方は、イタリア語で食材や調理法を覚えていくといいですね。日本語メニューはあっても限られていたりするし、ない場合多少は想像の助けになります。まあこういうのはどこでも同じでしょうけど。でも適当に頼んでもそんなに不味いものは・・・つけあわせの野菜以外には、ないかな(笑)。これでもかっつーくらい茹で倒してしまうので、カリフラワーが離乳食のようでした・・・ビタミンはゼロだろうな。ちなみにサラダは酢とオリーブオイルと塩の味しかしない・・・携帯用ショーユがお役立ち(笑)。

ところで向こうはファストフードが少ない。やはり食のこだわりなのでしょうか。マックはありますが全国同じ味じゃないそうです。
ちなみに「クラフト社のパルメザンチーズ」。わたしたちは粉チーズといえばあれですが、イタリアでは「パルミジャーノ・レッジャーノ」が本物であるとして輸入禁止だとか聞いたような(うろおぼえ)。タバスコの話だったかな。

カップめん持参と書きましたが、意外と活躍。前述のような場合や小腹が空いたとき、あるいは機内持ち込みで食べる荒業?も。荷物に余裕があれば長い旅行にはいいかもです。
バス移動の多いイタリアの旅。母と叔母が持ち込んだセンベイはまた人気でした。お醤油の香りと味が懐かしいと言いますか。トスカーナの自然を眺めつつ齧る草加センベイはまた格別(笑)。イタリア人運転手ミーモさんにも差し上げました。

今回、あちこちで飲んだのはカプチーノ。なぜか何を頼んでもホット飲料はヌルイ。それに砂糖をたっぷり入れて飲むイタリア風は、疲れたときにぴったり。

オススメのカフェ、BAR(バール)を紹介しましょう。

まずは、ウフィッツィ美術館内のBAR。砂糖が沈まないほどきめ細かい泡がハート型になってお洒落。シニョーリア広場を見下ろせるところもあります。
同じくフィレンツェのデパート・リナシェンテ三階にあるオープンカフェ。入り口に「街を見下ろして飲むコーヒー」と「日本語で」書いてありますが(笑)確かに嘘はない。燃えるような見事な夕焼けと、夕暮れに輝きだす街。陽気で愛想のいいお兄ちゃんがいて「オーサカ?」なんて訊かれたりも。
もうひとつはローマ。フォロ・ロマーノの大きな道路を挟んだ向かいにあるほうの遺跡、それを見下ろせるところにリストランテがあるんです。お茶も可。遺跡を眺めながらのカプチーノは最高の気分。髪を撫でつけたチョビ髭の、いかにもなウェイターさんもGJ。

わたしを始め誰も飲まないのでせっかくのワイン話はできません(笑)。
新婚旅行で行ったときは、夫が喜んで飲み比べ買ってきたりもしてましたがね。重いし機内持ち込みできないし面倒なので、お土産にもしなかった。今はどこでもイタリアワインは手に入りますしね。そういう意味ではオリーブオイルやパスタなどの食材も珍しくなくなって、ちょっとつまらなくなったかも。

海外旅行のお土産といえばチョコレート。イタリアではその名も「Baci」がやっぱり有名。ソニプラでも買えますが(・・・)まあ気持ちと言うことで。
イタリア語で「キス」を意味する一口サイズのチョコ。包みを開くとなにやら細かい字の書かれた薄紙が。なんとこれ、ひとつづつに「愛の名言」がヨーロッパ各国語で印刷されてるんですね。甘い言葉と甘いチョコレートの「キス」。イタリアンな愛がたっぷり。ヴァレンタインにオススメかも。24000個、どうでしょう(笑)。
ちなみにトスカーナのあたり、聖ヴァレンタインゆかりの地じゃなかったかしら。

わたしの人生最激マズの記憶は実は昔、ミラノで買ったゼリービンズみたいなお菓子だったりもしますが、イタリアはそれでも美味しい国です。日本人の口に合う。あちこち旅行した友人なんかもそう言いますね。書いていたら懐かしくなった。今日はミラノ風カツでも作ろうかな。薄切り肉で安上がりだし(笑)。
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③イタリア男
イメージはやっぱり、チョイワルでレオンでジローラモ?(笑)

今回ずっと移動のバスを運転してくれたのが、ミーモ氏という50がらみのおじちゃん。乗降の時には女性に必ず手を貸してくれ、ご挨拶の一言を欠かさない。気さくで陽気で親切、まさに女性に優しいイタリアの男性という感じ。
娘なんか、いつも両手を広げて大げさに「アモーレ・ミーオ!」。びっくりしてました(笑)。デザートのティラミスをくれるわお菓子を買ってくれるわと気に入られちゃいました。
運転席にはなぜか着物の日本女性の卓上カレンダー。その横には、十字架とヴァチカンの法王の絵姿。わたしはこんなところがああイタリア男だなあ、と思った次第です。

余談ですが彼はそのあたりでちょっと有名な方らしく、添乗員さんはほかのガイドさんから「彼に当たってラッキーだね。あなたはもう何も解説する必要ないよ」と言われたとか。確かにあちこちで現地のガイドらしき人たちが寄って来て親しそうにしていたり、少し道を外れた撮影ポイントにバスを回してくれたり、走っている途中で見える都市や湖を教えてくれるなどしてくれました。アッシジでは途中急にクラクションを鳴らすので何事かと思いきや「ここに住む友人にいつも通るときこうして知らせるんだ」。
ちなみに息子さん(28歳独身)はラジオのDJ。花嫁募集中なので我こそはと思うお嬢さん、ミーモ氏に早くお孫さんを見せてあげてね(笑)。

イタリアの男性はしかし本当にわかりやすいです。若い女性には殊更親切。お店では店員の笑顔が違う、さらにジェラートの量が違うとか当たりまえ。いちばん最初、二十歳くらいに来たときは、確かにわたしでも通りすがりにチャオとかバンビーナとか声がかかりましたがね・・・年を取るってこういうことね・・・(寂)。

数年前、それでも最近の若いイタリア男性は女性に声をかけなくなった、かけられなくなったという日本人にはわからん国民的危惧があり、「ナンパ教室」が大々的に開講されたというニュースがありました。まあそういうお国柄。確かに若いときもじっくり口説いてくれたのは若者じゃなく、ポンペイの土産物屋のじーさんだけでしたからな(笑)。ちゃんと日本語で、あなたは美しいとか花のように綺麗とか、真面目な顔で言うんだから。

その代わり、娘はどこ行っても可愛がられました。大人に愛想のない受付や店員も彼女には必ずと言っていいほど笑顔で対応してくれる。子どもはみんなの愛すべき存在という感じでした。
総じて外国では子どもや子連れに対して親切です。飛行機も優先で搭乗させるし、いろんなシーンで手助けも自然。それがマナーなんでしょう。か細いママがひとりでベビーカー担いで階段を下りてるような日本では感じないことです。これも文化の違いでしょうか。子連れで海外へ行くとそういう発見もありますね。

ところで、ミラノ在住のガイドさん(日本人)が、日本ではイタリア男性代表みたいなジローさんを、目の敵にするんです。ジローさんのよく言う「イタリアでは~」は間違いで、正しくは「ナポリでは~」なのだとか。つまりジローさんイコールイタリア人ではない!あれはナポリ人だから!ということみたい。

「イタリア人」というものはいない、「イタリア料理」はない、とも聞きますね。
でもそれはまた、別のお話。(王様のレストラン風)

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②トイレの話
2回目にいきなりシモな話ですいません。でも大事。

イタリアのトイレにはウォシュレットがありません。
ウォームレットもありません。

それどころか、しばしば便座がありません。
思い切って座るか、中腰でするかの選択を、人は迫られます。

でもお金を取られることは、あります。
公衆トイレなどで人がいれば0.5€くらい払います。ヴェローナじゃご丁寧に窓口がありました。
だからといって特別綺麗なわけでもないけどね。

偶々か紙に不自由はしませんでしたが、念のためティッシュと、気になる人は除菌クリーナーを持っていくといいでしょう。

ホテルなどの部屋では、トイレの隣に小型の便器みたいなビデ(子馬の意・馬に乗るようにまたがって使うから)があります。日本人には無用の長物ですが、向こうではこの設置がないと住居など建築許可が下りない必需品だとか。用足しの後、大事なところを洗うわけですが使用は老若男女を問わないそうで、聞いた話じゃ栓をして足湯にも使うらしい・・・けどやっぱり馴染めん。

イタリアは硬水でカルシウム分が多いので、ウォシュレットみたいな小さい穴ではすぐふさがってしまい不向きだという話でした。

だったらせめて、冬場は便座を温めて!
おしりだってあったまりたい!そういうニーズはないのだろうか。

そういうわけで日本のトイレは素晴らしいことを再認識した次第です。
洗えるし!あったかいし!何より無料で、必ず便座があるんだから!(笑)

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①日本語が通じる!
どこかで聞いた話では、イタリアの観光客の6割は日本人だとか。数字はともかく、日本人が多いのは確かです。ローマには三越もあるしね(店員も客も日本人)。

そのせいなんでしょうか。どこへ行っても、たいてい日本語の片言が通じちゃったりします。まあ観光地だけかもしれませんが、ツアーで回るような都市は食事も買いものもあまり困らない。店によっては日本語メニューもあるくらい。こちらがせっかく「ウノ!(ひとつ)」って言っても「イチ?」と訊き返される始末です。
気楽は気楽ですが、海外という緊張感は薄いかも(笑)。

ベネツィアでは必ずガラス工房(みやげ店つき)に連れて行かれてすすめられますが、昔そこでわたしが思わず高い!と洩らしたら一言「安物買いの銭失い」と言われました。今回は「二兎を追うものは一兎も得ず」でした。ことわざ、ちゃんと増えてるよ(笑)。

ちなみにイタリアでは資格を持った人しかガイドできないのですが、日本語ができないと「通訳」として事実上日本人ガイドが説明してくれることが多いのです。ミラノでもフィレンツェでも、何も喋らないイタリア人がずっとついて回る。なんだか不思議なシステムですが雇用を守るという意味なんでしょうね。
ただベネツィアだけは昔からベネツィア人以外を入れない(ゴンドリエも世襲制)という意識が強いらしく、現地の人が日本語を覚えてガイドすることが慣例だとか。確かに昔もそうだったし、今回もそうでした。日本語としても話術としても上手で、熱意が伝わります。さすが昔から海上貿易で栄えた都だけあるなと感心。

あの陽気な性質も関係するんでしょうね。外国人だからと馬鹿にもせず、こちらの拙いコミュニケーションを懸命に理解しようとしてくれます。その一貫として日本語も出てくる。
結果、イタリア語、日本語、英語にボディランゲージ、そして最後に笑顔の加わる、とても楽しいコミュニケーションになるんです。イタリアの人で嫌な思いはあまりしたことないですね。スリ以外は!(笑)

金持ちでケチらない日本人は、どこでもいいお客さん。日本語を覚えることは、現地の人々にとって必要だし大きな利益につながります。思い出しても、けっこうどこも日本語通じたな。ニューヨーク以外は!(どんなにこちらが困ってもネイティブ発音の英語しか喋ってくれなかった)(あげくに舌打ちしやがった・怨)

話す人口数と比較して、これだけ外国で日本語が通じるということは、ちょっとした驚き。外交下手だと言われても、民間レベルで日本の存在感はかなり大きいのではないでしょうか。

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